朝、4時起きで撮影場所に向かいました。残念ながら黒い雲が水平線沿いのあったため、朝日を見ることができませんでしたが、自分としては、松島四大観よりもここの方がずっといいと思います。
ここは、行法師が諸国行脚の折り、松の大木の下で出会った童子と禅問答をして敗れ、松島行きをあきらめたという由来の地だそうで、案内板には次のように書かれています。
歌人西行(1118~1190)がこの地にて「月にそふ桂男(かつらおとこ)のかよひ来てすすきはらむは誰が子なるらん」と一首を詠じて悦に酔っていると、山王権現の化身である鎌を持った一人の童子がその歌を聞いて「雨もふり雲もかかり霧も降りてはらむすすきは誰れが子なるらん」と詠んだ。西行は驚いてそなたは何の業をしているのかと聞くと「冬萌(ほ)きて夏枯れ草」を刈って業としていると答えた。西行はその意味がわからなかった。童子は才人が多い霊場松島を訪れると恥をさらすとさとしたので、西行は恐れてこの地を去ったという伝説があり、
一帯を西行戻しの松という。西行に関するこのような伝説は各地にあり、古くから語り継がれている。
(*桂男=美男子 *業=仕事 *冬萌(ほ)きて夏枯れ草=麦)平成17年6月 松島町教育委員会
歌聖とまでいわれる西行が、「冬萌(ほ)きて夏枯れ草」を刈りにいくといったような、歌とも戯言ともつかないような童のことばに、どうして恐れをなして引き返すといった伝説が残るのか。よくわかりません・・・。